「守る」から「見守る」へ

娘が小学校を卒業して、もう一週間以上経ってしまった。
慌ただしく終わった卒業式。
子供たちはセンチメンタルになることもなく、笑顔で六年間学んだ小学校を後にしていった。


自分の小学校卒業式がどうだったかなんて思い出せるはずもないが、娘たちの卒業式は、自分たちの「夢」を語ってから卒業証書を受け取るという形だった。
いまどきの小学生は醒めているのかと思いきや、とんでもない。
野球選手になりたい、デザイナーになりたい、宇宙飛行士になりたい、などなど本当に夢のあるものだった。


そんな子供たちの夢を聞き、五年生・六年生で歌を歌い合い、感動的だった卒業式。
だが、そんな中でひとつだけ“違和感”があった。
六年生が入場する時、退場する時、普通なら担任の先生が先頭に立ち、引率すると思うのだが、まず先生たちが先に入ってから子供たち、そして子供たちが先に出てから先生たち…となっていたのだ。


家に帰って、担任の先生が毎月クラスの様子を伝えていたプリント、その最後のプリントを娘から受け取り、初めてその理由を知った。


“今年、私は、わがままをひとつ言いました。
「入退場の時、担任が引き連れていくのはおかしいから、席で送迎したい」と。
これは、「小学校全課程を修了し、もう、私から教えることは何もない。次のステップには、自分たちの力で進みなさい。」という、私からのメッセージです”


これを読んで、ふと自分の今までの子育てを思い出した。
いつも娘の前を歩き、あるいは手をつなぎ、一緒に歩いていた。
娘を守らなければいけない。
そんな気持ちで、ずっと12年間娘と生きてきた。


これからも、もちろん娘を守っていく。
でも「守る」の形が違ってくる。
「守る」から「見守る」へ。
それは結構むずかしく、そしてちょっぴり寂しい。


卒業式のあと、娘は友達と一緒に撮ったり話したりで、挙げ句の果てには「お父さんとお母さん、先に帰っていいよ」だった。
友達のところへ走っていく娘の後ろ姿が、少しまぶしく見えた3月22日。
ちいちゃん、小学校卒業おめでとう!